―これは何ですか?
仏教絵画です。
仏像が描かれたものを仏画と呼びますが、広い意味では、仏教を画題とするもの全般を仏画と呼びます。
―何に描かれているのですか?
縦長の絹を横に3枚ついだ大画面に、顔料で絵が描かれています。
―2枚ありますが、何が描かれているのですか?
「大日経(だいにちきょう)」「金剛頂経(こんごうちょうぎょう)」という密教の経典をどのように手に入れたかという物語の一場面を描いています。
―「大日経」と「金剛頂経」はどんなお経ですか?
密教で最も重要なふたつの経典で、これを「両部大経」といいます。
「大日経」は仏の智慧そのものを、「金剛頂経」は現象世界に現れた智を示しています。
―いつ誰が描いたのですか?
平安時代の保延2年(1136)に、宮廷絵師の藤原宗弘(むねひろ)が描きました。
―なぜわかるのですか?
明治7年に廃寺となった内山永久寺(奈良県天理市)の真言堂(しんごんどう)のために制作されました。
永久寺の記録(『内山置文』など)により、真言堂が建てられた年や、絵師の名前が分かります。
―真言堂とはどんな場所ですか?
密教の寺の中でも重要なお堂です。
胎蔵界曼荼羅、金剛界曼荼羅や密教法具を並べた大壇を設置し、灌頂(かんじょう)という密教で重要な儀式を行います。
―曼荼羅とは何ですか?
大日如来を中心に密教世界の宇宙を表現した絵です。
悟りの世界を表した胎蔵界曼荼羅と知恵の世界を表した金剛界曼荼羅の2枚がセットになっています。
―2枚の絵はお堂の中に掛け軸として飾られていたのですか?
襖や障子に描かれた障壁画とよばれる形式で、衝立のようなものに描かれていました。
両面に絵があり、表に曼荼羅、裏に物語絵が描かれています。
―大きさはどれくらいですか?
それぞれ約縦179㎝、横143㎝です。
―大きいですね。両面に絵があるのですか?
それぞれ、曼荼羅が本来の表です。
仏は描かれておらず、種子で表現する種子曼荼羅です。種子は梵字(ぼんじ)で、仏を象徴する記号として用いられます。
曼荼羅は裏の絵よりも新しく、紙に描かれています。中世末~近世と思われます。
―五重塔が描かれている絵はどんな物語ですか?
「大日経念誦供養法(ねんじゅくようほう)」を得たお話です。
北天竺(インド)にある乾陀国(ガンダーラ?)で、上空を見上げて座っている僧侶はインド人僧の善無畏(ぜんむい 637-735)です。
善無畏は、ここの国王より「大日経念誦供養法」を教えてほしいと乞われ、要請に応えるため、金栗王塔という塔の傍で仏の加護を求めました。すると、空に金色の文字が浮かび上がります。それが「大日経念誦供養法」の本文です。
善無畏が「誰が作った文章なのか?」と問うと、文殊師利(もんじゅしり)であると返事がありました。
人を呼び、空中の文字を書き写し、ひとつは国王へ、もうひとつは善無畏自らが持ち、広めました。
―ここはインドですか?
インドですが、日本にあるような木造の五重塔が描かれています。
インドには木造五重塔は存在していないので、おそらく石で作られた塔だったと思われます。
―描かれているのはどの場面ですか?
空に文字が現れている場面ですが、絵には文字が記されていません。良いことが起こったことを示す瑞雲(おそらく五色に彩色されていた)が空にたなびいていることから、奇跡が起こっていることを表しています。
善無畏の傍に、筆を持つ書記の男性が描かれ、空を見上げています。
―中央に塔のある絵はどんな物語ですか?
「金剛頂経」という経典を得た話です。
この塔は南天竺(南インド)のアラマーヴァティー(クリシュナ川南岸)という場所にあったと考えられています。鉄塔と伝わりますが、実際は大理石で作られた石の塔(建造物)であったようです。
この塔の中に「金剛頂経」が秘蔵されており、その存在を知った龍猛(りゅうみょう 150?~250? 龍樹と同一人物か?)が7日間、経を唱えながら塔の周りを廻り、7日目に7粒の白芥子を塔に向かって投げると、閉ざされていた塔の扉が開きました。
しかし、塔を守っていた諸神は龍猛が中へ入ることを拒みました。龍猛が懺悔し祈りをささげると、塔の中へ招き入れられ、扉が閉まりました。龍猛は経典を持って外に出ることも書き写すことも禁じられ、数日をかけて経典を暗誦し、塔の外へ出てからすべてを書き記しました。
―描かれている場面は、話の中の1場面ですか?
ちょうど、塔の扉が開いた場面が描かれています。
塔の中で武将神と金剛力士が扉の前に立ちはだかり、龍猛が塔へ入るのを拒んでいます。
場所は南インドですが、日本の景色が描かれています。
―他に何が描かれていますか?
〔善無畏〕
なだらかな丘や山に、松、砂浜の向こうには川か海と思われる水面があり、鵜も描かれています。手前には左下角に新緑の柳、中央と右には桜が描かれています。季節は春です。桜の木の下には馬と馬丁がいます。五重塔の軒先には、風鐸(ふうたく)と箜篌(くご)が描かれています。箜篌は弦楽器で、風によって音が出ると言われています。
〔龍猛〕
なだらかな稜線ですが、山深い場所として描かれています。左上に2頭の唐獅子、右端(中央付近)に2頭の山羊のような動物がいます。鉄塔と伝わるため、茶系(一部朱?)に塗られた塔が描かれます。右から左に川が流れ、所々に秋草が見られます(女郎花、ススキなど)。季節は秋です。
―なぜ季節が描かれるのですか?話に関係するのですか?
日本の絵画は主題に関係なく「四季」を描きます。
複数枚で構成される絵画では、2枚なら春秋、4枚以上では春夏秋冬の景色を描き、その中に主題をちりばめます。
襖絵、屏風絵などに見られます。
―善無畏の右上角に文章が書かれていますが、何ですか?誰が書いたものですか?
画面に貼り付けられた紙に文章が記されています。こういったものを「色紙形(しきしがた)」と呼びます。
内容は、善無畏が「大日経念誦供養法」を得た物語のあらすじ等です。
文字は藤原定信(1088~?)が記しています。
定信は世尊寺(せそんじ)家の5代目当主です。世尊寺家は藤原氏のひとつで、家祖は藤原行成。能書家(文字の上手な人)の家系です。
この色紙形を修理の時に取り外した際、下から鷹の絵が現れました。
―龍猛には色紙形はないのですか?
現在はありません。右上角に色紙形が貼り付けられていた痕跡があります。
―一言でいうと?
平安時代の大型絵画で、絵師の名前、安置されていた状態、描かれた年が分かる貴重な作品です。インドで起こった出来事ですが、なだらかな山に囲まれた日本の景色の中に描かれています。
今回の作品:国宝 両部大経感得図 善無畏・龍猛
(りょうぶだいきょうかんとくず ぜんむい りゅうみょう)
時代 平安時代 保延2年(1136)
廃寺となった内山永久寺の真言堂内にあった障子絵です。絹の大きな画面に、密教で重要な両部(2種)の経典「大日経」と「金剛頂経」に関する説話を描いています。
五重塔を描く「善無畏」は「大日経念誦供養法」を得た場面、鉄塔を描く「龍猛」は「金剛頂経」を得た場面です。それぞれ日本のなだらかな景色の中に展開し、善無畏は春、龍猛は秋の景色となっています。
藤田美術館
明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。
前野絵里
藤田美術館主任学芸員。所蔵する日本や東洋の古美術品に絡むものはもちろん、宗教、建築、歴史なんでも気になる。直接役立つことも役立たないことも体験体感することが一番と考えている。