―これは何ですか?
面です。伎楽面(ぎがくめん)といいます。
―伎楽とは?
伎楽は6世紀に大陸より伝わった芸能です。
14種類の面を使って演じるセリフのないパントマイムで、ユーモラスな内容であったと考えられています。
伎楽は平安時代以降、次第に上演されなくなっていきました。
―何でできていますか?
乾漆(かんしつ)という技法で作られています。麻布を重ねて漆で貼り合わせた下地に、漆に木粉を混ぜたものを塗っています。
見た目の大きさの割にとても軽いものです。
―この面はいつのものですか?
奈良時代(8世紀)です。
―誰が作ったのですか?
相李魚成(しょうりのうおなり)という人です。
面の裏側に朱漆で記されています。
魚成の作った酔胡従は、正倉院や東大寺にもあります。
―面の裏側に、他にも何か書かれていますか?
東大寺/相李魚成作/天平勝(宝四年四月)九日 と朱漆で書かれています。
天平勝宝4年は西暦752年です。カッコに入っている文字(宝四年四月)は推定です。
同一作者による他の面に記されている文字を参考にしています。
―この時代のもので、藤田美術館に所蔵されているものはありますか?
少し前になりますが、711年に建てられた法隆寺五重塔に関係するものがあります。
五重塔の一番下の層に粘土で作られた塑像の群像があり、そのうちの数体が藤田美術館に所蔵されています。
―酔胡従(すいこじゅう)とは?
伎楽面の種類のひとつで、酒に酔った胡人の王、酔胡王に従う従者です。6人または8人でひと組になっていたようです。
―胡人とはどこの人ですか?
胡はペルシァを指すと言われていましたが、近年、ソグドを指す言葉であると言われています。
ソグド人はサマルカンド(ウズベキスタンの古都)を中心としてローマから唐にわたる中央アジアで活躍した人々です。深目高鼻、紅毛巻髪、緑や灰色、茶色の瞳のエキゾチックな容貌の人々だったようです。
―面には色が塗ってあるのですか?
今黒く見えているのは、下地の黒漆です。
本来は、この黒漆の上に白色の下地を塗り、その上に赤褐色の顔料を塗っていました。
酔っ払っているので顔が赤いのかもしれません。
―ずいぶん立体的に見えますが、面はもっと平らなものではないのですか?
伎楽面は、後頭部まですっぽりと被るヘルメットのような形になります。
耳に穴があり、紐を通していたと思われます。
―この面も実際に使われたのですか?
36回の力士の伎楽面同様、東大寺の大仏開眼会で使われたと考えられています。
―なぜ使われた面だと分かるのですか?
完成した時、目の周囲はきれいに丸く作られていました。
しかし、この面を被った演者の視界に合わせて目の周りをくり広げています。
目の周りを削ってあることで、使用された面であることが分かります。
―どんな話なのですか?
酔った酔胡王とその従者である酔胡従が、笑いを誘うような動きをする内容とされています。
現在では伎楽がどのような音楽を奏で、どのような動きで演じられたのか、全く伝わっていません。このため、文字で記された記録と、保存されてきた面や衣装などから想像するしかありません。
―一言でいうと?
鼻が高く、口角を上げて笑うような表情が日本人とは異なり、不思議な印象を醸し出しています。
今回の作品:重要文化財 伎楽面 酔胡従(ぎがくめん すいこじゅう)
時代 奈良時代 8世紀
作者 相李魚成 しょうりのうおなり
麻布を重ね、漆に木粉を混ぜたものを塗る乾漆技法で作られています。目は銀杏形、鼻は長く、口の端を引き上げ、笑みを浮かべた表情です。西域(中国から見て西方の地域、中央アジア・西アジア全域)に起源を持つ面と思われます。寺院等へ奉納する仮面劇(伎楽)に用いられました。
藤田美術館
明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。
前野絵里
藤田美術館主任学芸員。所蔵する日本や東洋の古美術品に絡むものはもちろん、宗教、建築、歴史なんでも気になる。直接役立つことも役立たないことも体験体感することが一番と考えている。