―こちらは仏画ですか?
はい、仏画です。虚空蔵菩薩と風景が描かれています。
―空に浮いているように見えます。
菩薩が空中に浮かんだような構図です。菩薩の下には、樹木や川、人などが描かれています。
人々の暮らす日常の上にぽっかりと浮かんでいるように見えます。
―菩薩は座っていますね。
蓮の花を象(かたど)った蓮台(れんだい)の上に座っています。
左手の親指と人差し指で持つ蓮華の花の上には宝珠が載っています。右手は、手を前に差し出し掌を外に向け指を垂れる与願印(よがんいん)という印を結んでいます。とても優雅に見えます。
冠は五仏宝冠(ごぶつほうかん)で5体の仏がついています。
―虚空蔵菩薩とはどんな菩薩ですか?
菩薩については18回でご説明しましたね。
この菩薩は知恵の神様として知られ、仏教の教えのひとつ密教の菩薩です。虚空、つまり広大無辺の(無限に広くて大きい)功徳や知恵を持っている菩薩とされています。
この絵は「求聞持法(ぐもんじほう)」という記憶力を飛躍的に高める修法(すほう 加持祈祷のこと)の本尊です。「求聞持法」は奈良時代に大安寺(奈良)の道慈という僧が中国より伝えたとされています。
―密教とは何ですか?
密教はインドで7、8世紀頃にヒンズー教の影響を受けて成立した仏教の教えのひとつです。唐時代の中国で発展し、遣唐使として留学した空海や最澄が日本に導入しました。
比叡山延暦寺の天台宗、高野山金剛峰寺の真言宗などが国内の密教寺院として現在も信仰を集めています。
―虚空蔵菩薩を本尊としているお寺はあるのですか?
現在もある京都の法輪寺が『枕草子』『今昔物語』などにも記されています。また、13歳になった子供が4月13日前後に虚空蔵菩薩に詣でて知恵を授けていただく「十三参り」というお参りをする風習もあります。
―なぜ絵にしたのでしょう?
求聞持法の本尊として、記憶力を授かるために信仰の対象としたのだと思います。
―虚空蔵菩薩の絵は多いのですか?
そんなにたくさん残っていません。「求聞持虚空蔵菩薩」は、東京国立博物館、京都醍醐寺のものが知られています。
画面の下部分に山岳信仰の対象である伊勢の朝熊山(あさまやま・朝熊岳)が描かれたものもあります。
―何に描かれているのですか?素材は何ですか?
絹に墨と顔料で描き、金ではなく銀が使われています。
菩薩の背後から放射状に伸びる線に銀泥(本物の銀を使った絵具)が使われています。
もともとは、銀が白く光る幻想的な絵であったと思われますが、残念ながら、銀が酸化して黒ずんでしまっています。
―これはいつのものですか?
今から700年程前、鎌倉時代(13世紀)です。
金箔を切って貼り付ける截金(きりかね)が使われていないことや、菩薩の衣装を絵具のぼかしで彩色していることからわかります。
平安時代末期の院政期に流行した銀を使うなど、鎌倉時代としては古風で優美な雰囲気を残しています。
―誰が描きましたか?
筆者は分かりません。奈良の絵仏師(仏画専門の画師)ではないかと考えられています。
仏菩薩は手本があり、決まった姿形で描かれます。先に述べた京都醍醐寺の原図とほぼ同じです。顔を形作る線、翻っている衣の線、どこをとってもとても丁寧です。
―どこにあったものですか?
現在の奈良県大和郡山市内にある額安寺にあったものと伝えられています。明治時代に藤田家に納まったと思われます。
―大きさはどれくらいですか?
画面の縦が100.4㎝、横が69.4㎝です。
もともとは掛け軸であったと思われますが、現在は板張りと呼ぶ額縁装に変更されています。
―一言で言うと
鎌倉時代の求聞持虚空蔵菩薩像で知られているものはそれほどありません。鎌倉時代より古いものは現時点ではなく、とても重要なものです。
傷んでいる所がほとんどなく、びっくりするほど良い状態で、700年間大切に伝えられてきたことがわかります。
今回の作品:虚空蔵菩薩像(こくうぞうぼさつぞう)
時代 鎌倉時代 13世紀
体や衣は均一な太さの線で描き、蓮台や衣は白を混ぜた中間色で彩色されています。銀を多用した光背や菩薩を囲む円相の下に広がる山や川の風景などに、製作年代よりも古い平安時代末の雰囲気が見られる作品です。
藤田美術館
明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。
前野絵里
藤田美術館主任学芸員。所蔵する日本や東洋の古美術品に絡むものはもちろん、宗教、建築、歴史なんでも気になる。直接役立つことも役立たないことも体験体感することが一番と考えている。