―これは何ですか?
仏画です。仏画とは、仏教に関係する絵画です。
―何が描かれているのですか?
中央に象に乗る普賢菩薩、象の両脇にふたりの菩薩、周囲に10人の羅刹女(らせつにょ)、背後に持国天(じこくてん)と毘沙門天(びしゃもんてん)、そして先導する二童子です。
―そもそも、菩薩というのは?仏様ですよね?
仏様を分類すると、如来(にょらい)、菩薩、明王(みょうおう)、天部(てんぶ)に分けられます。
如来は悟りを開いた仏の姿で仏の最高位です。釈迦如来や阿弥陀如来などですね。
菩薩は将来、如来になるところまで修行を終えていて、現世の人々を救ってくれる仏です。身近にいて、人々に寄り添って救済します。
明王は如来が姿を変え、仏教の教えに従わない人を忿怒(ふんぬ)の形相で導く仏。不動明王などです。
天部はもともと仏教以外の神々が仏教に取り入れられ、守護神となったものです。毘沙門天や金剛力士などがいます。
―なるほど。では普賢というのはどういう意味ですか?
菩薩は弥勒(みろく)菩薩や普賢菩薩など多数おられますが、弥勒や普賢は菩薩の名前です。
普賢は「普(あまね)く賢い」というサンスクリット語の漢字語訳のようです。
法華経を信仰する修行者を守る仏で、この絵のように6本の牙を持つ白い象、「六牙(ろくげ)の白象(びゃくぞう)」に乗って表現されます。普賢菩薩の行を象徴しているのが象と言われています。
釈迦如来を中心に、左右に知恵を司る文殊(もんじゅ)菩薩、普賢菩薩を置く釈迦三尊という形式もあります。
―法華経は11回の仏功徳蒔絵経箱に出てきましたね。
女性をはじめ、誰もが平等に成仏できるという仏教思想が説かれた経典で、平安時代には、ことのほか女性に厚く信仰されました。
―普賢菩薩は色々な飾りを身につけていますね。
菩薩は人間により近い立場で、釈迦が出家する前のインドの王子様の姿をもとにしているため、装飾品を身につけていてきらびやかです。
悟りを開いて出家した如来は、装飾品はなく質素な姿です。
―十羅刹女とは何ですか?
十人の羅刹女です。羅刹女は、人の精気を吸い取ったり、人を食う鬼女でしたが、仏の教えに接して法華経を信仰する人々を守護する役割を担うようになりました。
服装は、唐装といわれる、中国風の衣装になっています。
和装の十羅刹女を描く場合もあり、その場合は十二単(じゅうにひとえ)です。
―それぞれ名前があるのですか?
10人は、藍婆(らんば)、毘藍婆(びらんば)、曲歯(こくし)、華歯(けし)、黒歯(こくし)、多髪(たほつ)、無厭足(むえんぞく)、持瓔珞(じようらく)、皐諦(こうたい)、奪一切衆生精気(だついっさいしゅじょうしょうけ)です。
誰が誰であるかは、持ち物を見るとわかるのですが、経典と異なるものを手にしている場合があり、完全に特定できません。
―後ろのふたりは?
四天王の内の持国天と毘沙門天です。左手に宝塔を持っているのが毘沙門天です。
―どんな場面が描かれているのでしょう?
仏や神が信仰している人々の前に姿を現す場面で、このような絵を仏画の中でも影向図(ようごうず)といいます。
虚空(こくう 何もない空間)を普賢菩薩らが進んでいるところです。虚空は濃紺のような色で塗って表現されています。
鎌倉時代になると、彼らの下に雲を描き、雲に乗って飛んでいる(進んでいる)様子が描かれたものが見られ、だんだん絵が説明的になってきます。しかし、この作品では乗り物としての雲はなく、少し古い表現で描かれています。
―確かに、みんな同じ方向を向いていますね。
仏画は東西南北が設定されています。画面の上が北、下が南、右が東、左が西になります。
普賢菩薩は東方浄妙国土という所に住んでいるので、私たちの方へ来るのであれば、西(左向き)に進むように描かれます。でも、この作品は逆方向に描かれています。その理由はわかっていません。
―この絵は何のために描かれたのでしょう?
法華経を信仰している人々を守る仏として描かれました。法華経は成仏できないとされた女性の往生を説くために、女性による信仰が盛んでした。女性が願主であった可能性もあります。
―どういう女性なのでしょう?
天皇家とか藤原家とか、平安時代末期になると武家の女性も入ってくると思います。
どちらにしても、身分の高い女性になります。
―額装されているのはなぜですか?
現在は、板張りと呼ぶ額装になっていますが、もとは掛け軸だったと思われます。
理由は分かりませんが、おそらく近代になってから仕様が変更されたと思われます。
―絵の周囲は掛け軸と同じような裂が使われているのですか?
通常、絵の周囲には絵を保護するために、他の裂を使って表装をします。この作品は絵のまわりを縁取っている蓮華模様の緑色の部分も、普賢菩薩を描いた部分と同じ一枚の絹に描いています。このように表装をしているように見せる描いた表装を描表装(かきびょうそう)といいます。一種のだまし絵のようなものです。
―大きさはどれくらいですか?
縦197.2㎝です。描表装なので、全長になります。
―いつ頃の作品ですか?
鎌倉時代、14世紀の作品です。
普賢十羅刹を描いた作品は平安後期のものも残っています。
―描いた人は分かっていますか?
12世紀の東大寺の画僧、珍海と伝えられています。しかし、この作品は14世紀と考えられているため、実際に描いた人は分かっていません。
―どこにあったものですか?
高野山金剛院に伝来したと伝えられています。
ただ現在、金剛院という名の寺が高野山になく、金剛三昧院のことなのか、金剛院という別の寺があったのかわからないです。
高野山のために初めから作られたのか、あるいは他の寺のものが流入した可能性もあり、詳細は分かりません。
―一言で言うと
橙、緑、金で彩られた衣装をまとい、白い象に座る華やかな普賢菩薩像です。周囲の羅刹女は、甲冑を身に着けていれば勇ましい表情を、唐装であれば艶のある表情に描き分けられています。14世紀、鎌倉時代後半の作品ですが、足元に雲を描かないなど古い様式が見られます。周囲の描表装も見どころです。
今回の作品:重要文化財 普賢十羅刹女像(ふげんじゅうらせつにょぞう)
時代 鎌倉時代 14世紀
法華経を信仰する人々を守護する、白象にのった普賢菩薩と、羅刹女らが描かれています。白、橙、緑といった鮮やかな彩色に、普賢菩薩の衣や蓮台などの截金(きりかね)が映え、美しく華やかな作品です。普賢菩薩が影向する場面ですが、足元に雲を描いていないことから、平安時代の古い表現を用いていることが分かります。
藤田美術館
明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。
前野絵里
藤田美術館主任学芸員。所蔵する日本や東洋の古美術品に絡むものはもちろん、宗教、建築、歴史なんでも気になる。直接役立つことも役立たないことも体験体感することが一番と考えている。