INTRODUCTORY SELECTION

前野学芸員がやさしくアートを解説します。|入門50選_17 | 黄瀬戸唐花文鉦鉢

桃山時代の高級食器

 

黄瀬戸唐花文鉦鉢(きせとからはなもんどらばち)

 

―「どらばち」って、なんだかすごい名前ですね。どういう意味ですか?

鉦は金属製の打楽器です。この鉢が楽器の鉦の形に似ているところからついた名前です。円盤状をしていて、出航の合図に使われる大型のものから、小さいものまであります。

祇園祭の祭囃子などに使われるあたり鉦(がね)が、直径20㎝程度でこの鉢と同じくらいの大きさになります。

また、中国南方で焼かれた華南三彩(かなんさんさい)に同じような形の鉢があり、桃山時代には輸入されていました。

 

―どこで、いつ頃作られたものですか?

16〜17世紀初めに美濃(岐阜県)で作られました。鉦鉢の形をしたものは、窯跡の発掘で16世紀の第四四半期に現れるようです。

 

―面白いですね。考古学と美術が関係するのですね。

そうです。窯跡だけでなく、消費地などの発掘も進んでおり、いつ作られ、どこで流通したのか、などが明らかになってきています。

 

―美濃で作られたのに、瀬戸(愛知県)ですか?

 黄瀬戸というのはどういうものですか?

黄瀬戸は、桃山時代に作られた美濃焼で、黄色を呈したものが基本です。

実は美濃で作られたことが明らかになったのは、美濃古陶の研究を行った陶芸家、荒川豊蔵(1894〜1985)や加藤唐九郎(1897~1985)などが発掘や調査を行った昭和初期です。愛知県の瀬戸窯と岐阜県の美濃窯は地理的にも近く、古くは瀬戸焼と一括りにされていました。このため、黄瀬戸と名前に「瀬戸」がついているのです。

 

―黄瀬戸は今も作られているのですね。

桃山時代から江戸初期が絶頂期で、それ以降作られなくなりましたが、昭和初期に荒川豊蔵や加藤唐九郎らの影響で再び注目され、新たに製作されています。

 

―黄色はどのように作るのですか?

灰秞という釉薬をかけ、酸化熖焼成(さんかえんしょうせい)を行うことで黄色く発色するそうです。不透明の釉薬になり、土が透けて見えることはありません。

特に良い出来のものは明るい黄色で、表面はざらっとしていながら光沢があります。この様子が油揚げに似ていることから、「油揚手(あぶらげで)」と呼んでいます。

 

―前回(第16回)の、野々村仁清と比べるとずいぶん違いますね。

そうですね。桃山時代の陶器は、美濃で作られた黄瀬戸、志野、織部の他、伊賀、備前や唐津などが主力でした。これらは、力強い造形、それまでになかったような模様などに魅力があります。色数は少なく渋いですが、形やデザインが工夫されています。

 

―緑色と茶色も使われていますね。

緑は胆礬(たんばん)と呼ばれる銅に由来する釉薬で、茶色は鉄釉です。

黄色と同系色の茶と緑のため、華やかな感じがしますが、落ち着いた色味になっています。

この作品には見られませんが、緑色が器の裏にまで染み出したものを、「抜け胆礬」と言い、茶の湯の世界では喜ばれました。

 

―花の模様ですか?

中央に1輪、大きく花が線刻されています。花の周囲には、蔓のような線などが引かれています。縁にも小さな花と、蔓が線刻されています。いずれも、土が生乾きの段階で入れられたと思われます。

 

―全体の形も花のようですね。

鉢の縁は、輪花(りんか)形と言い、規則的な切り込みを入れています。

切り込みの断面がシャープで、ひとつおきに先端が尖っています。

 

黄瀬戸唐花文鉦鉢

 

―縁の金色は?

金継です。縁が割れてしまったものを漆で継ぎ、金で装飾したものです。

黄瀬戸の土は、もぐさ土ともいわれ、ざっくりと柔らかい焼き上がりです。手に持つと、とても軽いものです。

 

―鉢の他にどんなものを作っていたのですか?

皿や向付(むこうづけ)、香合、花瓶などが現存しています。

志野、織部などの焼物と同じ時代ですが、黄瀬戸には歪みや自由な造形がなく、きっちりとした形のものが大半です。

茶碗として作られたものもほとんどなく、現在、茶碗となっている黄瀬戸は、向付などを転用したものと思われます。

 

―どのように使われていたのでしょう?

黄瀬戸は、日常的に使う食器と言うよりも、高級食器であったと考えられています。

16世紀末の京都の三条瀬戸物屋町発掘では、織部や唐津などに混じって、黄瀬戸も出土しています。都会での消費を目指して生産されたことがわかります。

藤田家では、大正7年に行われた傳三郎7回忌追悼茶会で、マナガツオ味噌漬けを盛る焼き物鉢として使っています。

 

― 一言で言うと

明るい黄色に、緑と茶色の自由な着色が魅力的な大らかな鉢です。縁の輪花形の稜線がきりりと引き締めており、鉢に適度な緊張感があります。他の桃山陶器に比べ、作為的ではなく、端正な作りが黄瀬戸らしさと言えます。油揚手の艶のある肌、裏面の端正形造など、黄瀬戸の最盛期を代表する作品です。

 

 

 

 

 

今回の作品:瀬戸唐花文鉦鉢(きせとからはなもんどらばち

時代  桃山時代  16〜17世紀

美濃で焼かれた黄瀬戸は、懐石などに用いる器として作られました。ドラの形をした鉦鉢最盛期の黄瀬戸を代表する作品です。鉢の縁は花びらのように切り込みが入った輪花形で、縁と見込みには、線刻で唐花を表し、鉄釉と緑釉で色を差しています。最も良いとされる油揚手のしっとりとした肌は、華やかで温かみがあります。

 

 

藤田美術館

明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。

 

前野絵里  

藤田美術館主任学芸員。所蔵する日本や東洋の古美術品に絡むものはもちろん、宗教、建築、歴史なんでも気になる。直接役立つことも役立たないことも体験体感することが一番と考えている。

 

INTRODUCTORY SELECTION