―これは何の道具ですか?
座るときに身体を預けるものです。
―今も旅館などで使われる、横に置いて肘をかけるものではないですよね。どうやって使うのですか?
今も使われているのは、脇息(きょうそく)ですね。脇息という言葉は平安時代には使われていましたが、体の横に置くものはかなり後の時代になるようです。挾軾は脇息のもとになったものと言われていて、身体の前に置いて使います。
―体の前ですか? 挾軾という文字は難しいですね。
挾の文字は、脇に挟む。脇の下に抱えるという意味があります。
軾の文字は、古代中国の車の前につける横木を指します。横木は車上で挨拶をするときに、身体を預けるためのものです。
身体を預けることから、挾軾とよばれるようになったと思われます。
―大きさはどれくらいですか?
幅90㎝、高さ27㎝です。
―長いですね。しかも、天板が真っすぐなんですね。
天板が真っすぐなタイプは古いもののようです。類似の作品は正倉院に納められている聖武天皇ゆかりのものがあります。
絵巻などにも描かれていて、鎌倉時代(14世紀)の玄奘三蔵絵にもありますが、これは天板が湾曲するタイプのものです。
やはり、体の前に置いて使っています。
―脚は2本ですね?
よく見ると中央でふたつに分かれています。正倉院の挾軾は脚が4本で、この形式を踏まえていると考えられます。
―いつ頃のものですか?
9世紀と考えられています。
―何でできていますか?
木製の漆塗りです。脚や板の側面に装飾があります。
―こちらも蒔絵ですか?(第11回参照)
そうです。平安時代前期の貴重な蒔絵作品です。金色と銀色の金属が使われています。金色は金粉、銀色は錫と思われます。錫の利用は珍しいです。研出蒔絵(とぎだしまきえ)と考えられています。
―どんな模様ですか?
天板の側面に蝶、宝相華(ほうそうげ)と呼ばれる架空の花、周囲に連珠文(れんじゅもん)と呼ぶ、銀色の珠を連ねて囲っています。
脚は金と錫で宝相華や蝶を、脚台には連珠文も見られます。
模様は左右対称で、唐の影響を受けた奈良時代に流行した配置です。大らかで、古様な雰囲気がありますが、奈良時代のものよりも、硬い印象があります。
―蒔絵に特徴はあるのですか?
金属粉が、後の時代のものに比べて荒い印象を受けます。錫は粉というより、塗ってあるように見えます。
きらびやかで華やかというより、素朴です。
9世紀と考えられている蒔絵作品は他になく、奈良時代の蒔絵以前の作品と、10世紀の蒔絵作品をつなぐ貴重な1点です。
―蒔絵というジャンルで特に価値があるのですね。同じような作品は他にないのですか?
そうですね。現在、9世紀の蒔絵作品はこの1点しか知られていません。
実は同型のものがいくつかあるようですが、製作された時代など詳しいことは分かっていません。
―貴族が使っていたのですか?
誰も使っていないと思われます。
実際に使われていれば、天板に擦れ痕などが出来ますが、そのような痕跡は認められません。
―使わずに、誰が持っていたのですか?
人ではなく神様のために作られたと考えられています。
奈良薬師寺の守護として宇佐八幡宮(大分県)の八幡神を9世紀の終わり(寛平年間 889〜898)に勧請した休ケ岡八幡宮に奉納されたものではないかと考えられています。
神宝であったことから、実際には使用されていないと思われます。
9世紀の作品と考えられているので、創建当初に納められた可能性があります。
―この作品を一言で説明すると?
古様で大らかな蒔絵が美しい作品ですが、照明を工夫しなければきれいに見えないのが難点です。神が使われるであろうと想定して凭れて擦れる部分に蒔絵がない、その製作姿勢が古代の人々の神への接し方を表しているように思います。
今回の作品: 国宝 花蝶蒔絵挾軾(かちょうまきえきょうしょく)
時代 平安時代 9世紀
金属粉を用いて装飾する蒔絵の初期作品のひとつです。挾軾は身体の前に置いて使うもので、天板側面や脚に金と錫で、花、蝶、連珠文を表しています。奈良薬師寺内に祀られた、八幡宮の神宝と伝えられます。
藤田美術館
明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。
前野絵里
藤田美術館主任学芸員。所蔵する日本や東洋の古美術品に絡むものはもちろん、宗教、建築、歴史なんでも気になる。直接役立つことも役立たないことも体験体感することが一番と考えている。