文字と絵は誰が描いたのか
絵巻の内容を見ていきましょう。
―全部で12巻、絵はどれくらいあるのですか?
文章がひとつあれば必ず絵がひとつあるので、全何段というのがわかれば計算できます。段は区切りですね。編集上、ここは絵を描きたいというところは絵が描けるようにうまく文章を切る。設計図があったのではないでしょうか。行き当たりばったりで長編は作れないと思います。
※全12巻で76段
―これは日本オリジナル?玄奘三蔵を描いているのはこれだけですか?
そうです。類似作品がないということは、お寺に深く仕舞われていたからだと思います。
―行間から奥義が読み取れるかもしれませんね?
うーん、どうでしょうか。詞書(文章)の文字を書いたのは当時の貴族。お坊さんは入ってないですね。
―研究でわかるのですか?
筆跡分析から5人が書いたとされています。
絵巻には文字を書いた人の名前は記されていませんが、こんな人が書いたのではないかというのが、絵画ではなく書の方面から言われています。
―書家みたいな人たちですか?
そうではなく、藤原氏の系統の貴族ですね。玄奘三蔵絵は興福寺の子院のひとつ、大乗院(門跡)にあったと伝わっています。興福寺は藤原氏のお寺です。藤原鎌足が作ったお寺が遷都によって奈良に移ってきて、そのまま藤原氏の寺になっています。同じように春日大社も藤原氏の神社。興福寺と春日大社は明治維新までは一体でした。有力でお金が潤沢にあった藤原氏などから資金が出ていたのではないでしょうか。
―絵は誰が描いたんですか?
絵が描かれたのは1300年代。高階隆兼(たかしなたかかね)という宮廷の絵所預で、鎌倉時代を代表する絵師の工房ではないかと言われています。これだけの絵巻は一人では作れないでしょう。春日大社にあった「春日権現験記絵(かすがごんげんげんきえ)」という絵巻が、20巻揃いで宮内庁の三の丸尚蔵館に所蔵されています。こちらは絹に描いてありますが絵を高階隆兼が描いたことがわかっています。
玄奘三蔵絵も同じ様式で描かれていて、興福寺と春日大社の関係や、装幀などからもそう言われています。
ディテイルを見るとまたおもしろい
これは最初、子供の頃。
―可愛い顔をしていますね。豊かな生活をしています。
同じ子供、玄奘がもう一回出てきますね。同じくらいの年の子供が遊んでいても、勉強している。それぐらい賢い子だよという、お坊さんの伝記表現のパターンです。
これは得度をする場面ですね。
―得度というのは?
出家ですね。絢爛に描いてあるけど、中国でこうだったかはわかりません。得度するとお坊さんになって、あちこちで勉強するのですが情報が足りない。もっと知りたい、外国に行きたい、インドに行きたいと。
ただ、当時の唐は国外に出るのに許可がないと出られませんでした。外から入ってくるのは割と自由ですが、出るのが大変。申請しても落とされて、闇に乗じて出国ということになったんです。
中国の西域。今の敦煌市あたりにあった門。ここからは砂漠になる。この門の次の門が国境の玉関門。玉関門を出ると帰れない。帰るなら最後のチャンス。
―寂しそうな顔をしています。
一緒に来た僧が「無理です、帰ります」玄奘は「いいよ帰って」ということでしょう。西域の砂漠のはずなのに、なだらかな山が日本ぽいですね。松が生えていたり。
―これが玄奘三蔵ですね。
玄奘三蔵はずっとこの衣装。黄土色の着物、青い袴に赤い袈裟をつけているのですが、
最終巻まで行っても同じです。年をとって顔はどんどん変わって、シワが増えていくのですが、衣装はずっと同じなので絶対に見失いません。
―よくできてますね。
計画されていますね。
―展示をする場合は、どこを切り取るのでしょう?
まず、国宝なので展示回数、日数が決まっています。同じところを1年のうちに何度も出せないので、最近どこを出したというところから始まります。前年、前々年を調べて、被らないところを出します。
そのほかに貸し出しが決まっているものや1年以内に貸し出したものは出しにくいというのがあります。
―ポイントになる絵は?
夢の場面ですね。
夢の中で海にいる。向こうに神々しい山が見えている。あの山に登りたいな、海をどうやって渡ろうかと考えたら蓮華の花が出てきて踏み石のようになって麓までたどり着ける。たどり着いてみると山はすごく背が高い。画面に描ききれないほど高い。雲があり、月と太陽が雲より上にある。とても背が高いのを示していて、高くて大変だな、登りたいなと思ったら、風が吹いてふわっと空を飛んで山の上まで行った。
この夢を見て出国してインドに行くぞということになったんです。
玄奘が学んだナーランダのお寺です。
インドなのに中国のお寺みたいですね。動物の形をした大きな噴水があったり、部屋の中に湧き水があったり。ワクワクします。
絨毯も細かくて手を抜いているところがない。質がいいというか緊張感があります。描く人は大変だったのではないでしょうか。
これ以降は中国に帰ってから後のところ。ふくぶくしいおっちゃんのように見えます。
描き手も代わっているのか、絵も少しずつ変わります。
次は翻訳事業をしている場面。
―海苔巻きかと思いました。
みなさん、そう言います。お経を複数巻束ねて、ひと巻きにしています。
最後は翻訳が終わり、奉納している場面。
全身が描かれていないけど、部分的に見えている袂と袈裟で玄奘とわかります。お経から光が出ていて、マンガのように描かれています。
―面白いですね。
絵巻そのものは1〜8巻までが構成としては面白い。その後は話として起伏がなく、単調な場面が増えてしまっています。9巻以降は別じゃないかという人もいるくらい構成が変わります。
―作品のテイストが途中から変わったということですね。
作品を作る時は注文主が材料費などのお金を出したります。これももしかすると誰かが発注して、最後になってこれはまずいということになったのかもしれない。ちょっとずつ絵が減っていくんです。
―制作にはどれくらいの時間がかかったのですか?
それがわかっていない。わかったらもっと面白いのですが。資料を集めて構成して描いて繋いでというのは、日数と人手とお金がかかっていると思います。
―今の映画製作と同じような感じがします。
ほんと、壮大な映画を撮るみたいな感じですかね。しかもほぼ国家権力で作られているという。
―なぜこれは国宝なのでしょう?どんな理由がありますか?
文化庁の判断によりますが、多分12巻揃いで、普通の絵巻よりも紙が大きくて大型。類似品がないことが挙げられます。これだけの規模の絵巻で、同じような内容のものがないことでしょうか。たくさんある絵巻だと一番いいものが国宝というパターンがありますが、これはこの作品だけで、しかもレベルが高いです。
「春日権現験記」は宮内庁のものなので国の指定がかからない天皇家のもの。国宝や重文の指定をかけることによって国外に流出しないというのもあります。たとえ売却したとしても国内での移動しかないですね。
今回の作品: 国宝 玄奘三蔵絵(げんじょうさんぞうえ)
全12巻
時代 鎌倉時代 14世紀
唐時代の僧 玄奘三蔵の一生を全十二巻に描いた絵巻で、絵の様式から宮廷絵所預 高階隆兼が関わったと考えられます。美しい彩色と豊かな想像力で、異国の風景を描いています。興福寺大乗院が所蔵していました。
藤田美術館
明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。
前野絵里
藤田美術館主任学芸員。所蔵する日本や東洋の古美術品に絡むものはもちろん、宗教、建築、歴史なんでも気になる。直接役立つことも役立たないことも体験体感することが一番と考えている。