日本美術を主な領域とするライター、エディターとして活躍するかたわら、公益財団法人永青文庫の副館長を務める橋本さんと藤田館長は、ともに日本美術を次世代に伝える担い手としてトークショーなどでご一緒することも多く、十数年来のお付き合いです。今回は東京・目白台の緑濃き庭に囲まれた永青文庫の昭和初期に建てられた趣のある洋館にお邪魔しました。美術館運営のことから将来の野望まで話は尽きず、最後は企画会議のような様相に。
出会いは、マヨネーズスプーン!?
藤田 清館長(以下藤田) こんにちは。いつかはと思い続けていましたが、ようやくご登場いただけました。
橋本麻里(以下橋本) そんなそんな。今日は新生・藤田美術館のお話をたっぷりお伺いしたいと思っております。
藤田 お手柔らかにお願いします(笑)。よくお話しするんですが、僕が橋本さんに初めてお会いしたのは、あれです、マヨネーズスプーンです。
橋本 ああ! 今にして思えばその時ですよね、2005年の。
藤田 当時、僕はまだ藤田美術館に入って間もなく右も左もわからない状態で、学芸員も一人だけでした。通常の業務で手一杯ということもあって、作品の貸し出しや撮影はほとんどお受けできていなかったんです。そこに、マヨネーズスプーンと書いてある企画書が届いた(笑)。そんなのウチにあったっけ?って思いながらよく読んだら、所蔵作品の村田珠光(むらた じゅこう)の茶杓《茶瓢》とオランダのマヨネーズスプーンを並べて、道具としての機能美について語りたい、というような主旨だった。
橋本 そのマヨネーズスプーンは樹脂製の身近なものだったのですが、単に機能的というだけではなく、デザイン性と機能性とが両立している名作ではあるんですね(アッキレ&ピエール・ジャコモ・カスティリオーニ《スリーク》)。それと《茶瓢》を並べる、という恐ろしい企画。とあるデザイン雑誌の連載で、相通ずる機能美をもつ日本美術と現代のプロダクトを並べて語るというものでした。
藤田 いつもだったら対応できないのでお断りしていたと思うんですが、あの企画だけは「なんだかわからないけど、引き受けなけきゃいけないのではないか」という気にさせられる説得力がありました。ぶっ飛んでましたよね。
橋本 私も編集者・ライターとして、名だたる美術館・博物館にそういう謎の依頼をしてきたので、まずは内容をご理解いただかないと引き受けていただけないと思い、そこはしっかり書いたんですよね。依頼書ってラブレターのようなものなので、お相手に、時間とリソースを割いてまで協力するメリットがあると思ってもらえるようなものを書く、ということを旨としています。ゴルゴ13みたいですね。
藤田 まんまと撃ち抜かれました(笑)。でも面白かったです。すごく楽しい内容でしたし、その記事の著者である千 宗屋さん(武者小路千家第15代家元後嗣)にも、その撮影のときに初めてお会いしました。
橋本 お二人はそれ以来のお付き合いなのですね。掲載誌は残念ながら休刊になってしまいました。デザインと日本美術を同時に扱うような企画があると、垣根が崩れてお互いに興味を持ってもらえたりするので本当にいいなと思うんですが、なかなか実現しませんね。
日本美術の面白さを、どう伝えるか
藤田 その後、橋本さんにはトークショーなどでも本当にお世話になっています。
橋本 とくに千 宗屋さんや戸田貴士さん(谷松屋戸田商店)とご一緒だと、もう放談という感じになって(笑)。
藤田 専門用語や説明しないと面白さが伝わらないことなんかを好き勝手にしゃべっている僕らの話をさえぎらず、トークのスピードも変えずに、パッと注釈を入れてくださるんです。
橋本 餅つきの返し手みたいな役割です。
藤田 でもそれは、「ここがわからない」っていう聴衆の気持ちと、「ここが面白い」っていう僕らの気持ちの両方を知っていないとできないことですよね。そこがすごい。そしていつの間にか台本通りの場所に戻してくださる。
橋本 日本美術って、やっぱり解説されないと良さや面白さがわからないことが多いので、その点をリスナー代表として聞きながら補足しています。ところで、新しい藤田美術館ではどんな風に展示される予定なのでしょう。お茶道具をお持ちの館だと、展示室に茶室を再現し、道具組みをして、箱の蓋裏なども見せて、という展示をされるところも多いですが、そのあたりは。
藤田 来歴などがわかる箱の蓋裏が作品と一緒に展示されているのって僕は嫌いじゃないんですが、一方で、それをすると結局作品自体に目がいかなくなってしまうのではないかとも思うんですよね。
橋本 気が散りますものね。
藤田 誰それの箱書きで、ということだけが記憶に残るのだとすると、結局箱を見に来たことになってしまいます。だから、新しい美術館ではなるべく作品に集中していただこうと考えていて、作品名と年代くらいだけのシンプルなキャプションにしてはどうかと思っています。
橋本 なるほど。作品を見てください、と。
藤田 見ていただいて、面白いと思ったら、調べていただく。そのために、スマートフォンで作品の解説は読めるようにしたいと考えています。ただ、まだ調整中なのですが、聞くだけにするのはどうかなとも思っています。作品をきちんと見ていただくために、どこまで感覚を研ぎ澄ますことができるか。一方で、やはり解説されないと面白さが伝わらないという側面もあります。まだ正解がわからないですね。
橋本 以前特別展のオーディオガイドの原稿を書いたことがあるのですが、1場面あたりの時間がある程度決まっているので、そこから原稿の文字量が自動的に決まる。伝えられる情報量が少なくて難儀しました。
藤田 そこがすごく難しいですよね。できるかどうかわかりませんが、誰かが実際にその展示を見ながら「僕やっぱり《老僧》が好きなんだよね〜」なんて言ってるだけの副音声的な感じにしてしまうとか。
橋本 私が進行役を務めているインターネット配信番組(ドワンゴ)の「ニコニコ美術館」が、もしかしたら参考になるかもしれません。展覧会場で展示を観ながら、基本的には担当学芸員が自由に話すという内容で、その音声だけを聴きながら展覧会を見ると言ってくださるファンの方が結構いらっしゃるんです。番組に慣れている学芸員が出演されるときは、非常にリラックスして、フランクにお話しいただけるので、視聴者にも日本美術ってこんな気楽に観ていいんだ!と驚かれています。
藤田 そうなってくると面白いですよね。自由に楽しんじゃっていいんだ、ということをしっかり伝えたいです。藤田美術館に《深窓秘抄》(しんそうひしょう)という和歌を書いた長い巻子(かんす)があるんですが、国宝なのに展示してもなかなかじっくり観てもらえない。字が書いてあるのはわかるんだけれど、崩されているから読めないじゃないですか。だからよく「どうやって観たらいいんですか」と質問されます。
橋本 書跡とか墨跡は難しいですね。絵を見る人は書を観ないし、書を見る人は絵を観ないという傾向があって、きっぱりと分かれてしまっている。
藤田 だから僕は「絵だと思って観ましょう」とよく言うんです。途中で墨がかすれてきたら筆に墨をついで、ついだところは線が太く濃くなって、それがまた少しずつかすれていくという繰り返しだから、1行ずつ墨をついでいると、行の頭の線がすべて濃く太くなってしまう。よい書とされるものは、線がかすれて細くなるタイミングもわかった上で、墨つぎがバランスよく散らされています。それって絵を描くのと一緒なのではないかと。
橋本 たとえば和歌を書いた歌裂だと、風景を描写した歌なら、手前に見えるものを指す言葉を濃く書いて、遠くに見えるものを薄く書いて、文字そのものを空気遠近法のように表現した作品もありますね。
藤田 加えて、書はちょっと間違えたから上から塗って直す、というようなことがまったくできないですよね。間違えたら、あるいは少しでも気に入らないところがあれば、その紙の最初のところまで戻って書き直さなければならない。僕ね、人間がアウトプットするもののなかで、ひょっとしたら書がいちばんすごい美術作品なんじゃないかと思うことがあるんです。でも、それは伝わりにくいですね。何しろ、読めないから。
橋本 音楽にたとえると、ソロのアリアみたいな感じです。合唱ではなくて。
藤田 でも作品そのものが素晴らしくても、楽しみ方がわからないことには、結局作品そのものもきちんと伝わっていかないと思うんです。大事にしまっておくだけでは、結局その作品のどこがいいのかが、誰にもわからなくなってしまう。
橋本 大事にとっていてもね、箱を開けたらダメになってしまっているとか。新生・藤田美術館は、所蔵作品の楽しみ方までしっかり伝えてくれる美術館になってくださらないと!
藤田 いやなんだか余計なことを言ってしまったかも(笑)。でも、たとえば現代の書の作家さんにインスタレーションしてもらって、藤田美術館の作品について解説しながら模写していただくとか、伝えるための方法は色々と考えなくてはならないと思っています。今は動画やVRや3Dスキャンなど、伝えるための技術はたくさんあるので、そういうことに挑戦しなければならないし、そういうことができる美術館でありたいなとは思っています。
新たな企画が続々と!? 対談は企画会議へ突入
橋本 そういう意味でも、お茶会の楽しさをきちんと伝えたられたらいいですね。茶室の中で何が起こっているのかを実況解説してみたいです。
藤田 千 宗屋さんともよくそんな話をしているんですが、あれはある種クローズドな空間だから良くて、オープンにするものではないですよね。だからクローズドのまま、外に見せてしまうのはどうかと。話していることといえば、普段喫茶店で話していることとさほど変わらないですから。
橋本 話している内容は堅苦しくなくても、お茶会の席だとどこか演劇的にやっているという、独特な感覚があります。
藤田 確かに。微妙ですが、何か周波数が違うという感じはあります。
橋本 先ほどお話いただいたアイデアは、出席者はいつも通りに茶会を行い、それをギャラリーが外から見るということですね。
藤田 そうです。その場に参加して茶室のまわりでその茶会の様子を見る人と、オンライン配信で見る人、その後でひょっとしたらビデオで見る人もいて、という風に広げることができるのではないかなと。
橋本 リアルな茶会がどういうものかを紹介する、すごくいいドキュメンタリーを撮ることができれば、お茶会ってこういうものなのか、という実感がうまく伝えられると思うんです。英語の字幕をつけて配信すれば、それこそ世界中に広がりますし。
藤田 本物の茶人がお茶をたてている姿の綺麗さ、体のさばきの美しさも伝えたいです。
橋本 主客の問答も、達人同士だと文脈が高度で、解説がないともちろんわからない。いわば武蔵と小次郎の斬り合いみたいなことをやっているわけで、「一期一会」とはこういう時のためにある言葉なんだな、と思います。
藤田 お茶ってそもそもよく知る人を招いてもてなすものだから、本来は言葉はいらなくて、補足しかないんですよね。だから余計にわかりにくい。
橋本 でもウインブルドンの決勝戦では、プレイヤーが他の誰にもできないようなテニスをするからこそ、観衆が盛り上がるわけでしょう。観衆も「今のはスーパープレイだ」とわかるから熱狂できる。お茶会でもそんなことが起こったら、すごく面白くなりそうです。
藤田 わからなくて当然ですし、それでいいともいえるんですが、わかろうとすると本当に面白い世界が広がっていることが伝えられたらいいですね。
橋本 そういう動画をぜひ撮りましょう!
藤田 お茶バージョンと、日本美術バージョンもあってもいいかもしれないですね。展示を真剣に見るバージョン。
橋本 それと前から言っているのですが、ワインブームを牽引した『神の雫』のような、骨董マンガがあるといいなと思います。
藤田 それもやりたいですよね。フィクションなんだけど、見る人が見ればモデルがわかってしまうような名前の人物が登場したりして。
橋本 原作はチームでやりましょう。1人だといろいろ問題が起こりそうなので、リスクを分散して(笑)。
藤田 あとは描く人ですよね、絵のタッチが結構重要かもしれません。誰がいいかな…。(2人ともしばし沈黙)あ、真剣に考え込んでしまった。
橋本 いよいよ真面目に企画書を書いて漫画雑誌の編集部に持っていくときが来たかもしれない(笑)。結構いろんなアイデアが出てきましたね。藤田美術館さんも永青文庫も、公益財団法人の私立美術館として色々と苦労もありますが、お互いの個性や良さを発揮しながら、日本美術の面白さを伝えていければいいですね。
藤田 ぜひ、色々やっていきましょう。映像も作らないとならないし、これは大変なことになってきました(笑)。
橋本麻里(はしもと まり)
1972年神奈川県生まれ。日本美術を主な領域とするライター、エディター。公益財団法人永青文庫副館長。同館は東京・目白台の細川家屋敷跡にあり、旧熊本藩主細川家伝来の美術品や歴史資料、16代細川護立の蒐集品などを収蔵する。現在の理事長は、元内閣総理大臣の細川護煕。『美術でたどる日本の歴史』全3冊(汐文社)、『京都で日本美術をみる 京都国立博物館』(集英社クリエイティブ)、近著『かざる日本』(岩波書店)などの日本美術に関する著書のほか、『THE GENGA ART OF DORAEMON ドラえもん拡大原画美術館』の構成・執筆やテレビ出演、動画配信「ニコニコ美術館」出演など、美術分野において幅広く深く活躍中。
藤田 清(ふじた きよし)
1978年藤田傳三郎から数えて5代目にあたる藤田家五男として神戸に生まれる。大学卒業後、2002年に藤田美術館へ。2013年、館長に就任。2022年の美術館リニューアルに向けて準備中。