―これは何ですか?
水指です。茶の湯で使う道具で、飲料水を入れ、茶席に持ち出すための容器です。
―いつ、どこで作られたものですか?
オランダのデルフトと考えられています。
デルフトでは16世紀から陶器が作られていました。
―オランダからやってきたんですね。
はい。オランダと日本の通商は1609年から幕末まで続きました。
―鎖国時代だから出島からやってきたということですか?
そうです。出島経由の貿易品で入ってきたものです。
―どれくらいの大きさですか?
高さ14.7㎝、直径19.3㎝です。
―これはヨーロッパの形ですか?
アルバレロと呼ばれる形で、器の上下にくびれのあるのが特徴です。本来は、もう少し細長い(竹筒形)ものが多いのですが、ヨーロッパの薬壺です。液体の薬を入れてコルクで栓をして使います。
―薬壺だったのですか?
薬壺を水指に見立てたものもありますが、この作品は、水指として作られたと考えられています。
―見立てというのは?
第20回でご紹介した、他のものになぞらえて表現するということとも近いですが、例えば、ヨーロッパのティーボウルを抹茶茶碗にするというような、本来の用途とは違う使い方をすることです。
―見立ては盛んにされていたのでしょうか?
お茶の世界では盛んです。
たとえば朝鮮半島で作られた高麗茶碗はもともと抹茶を点てるために作られた器ではありませんでした。それを抹茶茶碗として使うことが見立てになります。また、西洋のナプキンリングを蓋置にするなど様々な見立てが行われてきました。
―この作品は、なぜ水指として作られたことがわかるのですか?
水指としてちょうど良い大きさであることや、この大きさのアルバレロの例がヨーロッパにはないからです。出島を通じて注文したと推測されていますが、記録などはありません。
―今でもありそうな模様に見えます。
タイルなどで見るような模様で、今でも好まれています。莨葉文(たばこのはもん)と呼ばれていますが、大きな葉を蔓と小さな葉で繋ぐ模様です。タバコの葉というより、本来はぶどうの葉だったのではないかと考えられます。
江戸時代の人も現代の人も好みは変わらないのかなと感じます。
―蓋はあるのですか?
水指として使うために作られた、黒漆塗りの蓋があります。
―これは磁器ですか?
陶器です。やわらかい陶器で、軟陶と呼ばれるものです。
ヨーロッパで磁器が生産されるようになるのは1709年のマイセンが最初です。17世紀末(1600年代末)は、まだヨーロッパで磁器を生産することができませんでした。
―日本では見ない色ですが、材料が違うのですか?
マヨリカと言われる技法で作られた、錫釉(すずゆう)陶器です。
技法は古く、9世紀ごろメソポタミアで開発され、イスラム圏で作られました。
13世紀中頃にヨーロッパに伝わり、15世紀にイタリアで、16世紀にはオランダ、ドイツ、フランスなどに伝わりました。明るい色の絵付けは、イタリアで花開きました。
―オランダに注文して作らせたのは誰ですか?
残念ながらわかっていません。
江戸時代を通じて誰が持っていたのかも伝わっていません。
ただ、鎖国していてオランダとの通商窓口がひとつしかないので、江戸幕府の関係者でないと注文するのは難しいでしょう。また、大名邸跡の発掘調査などで、アルバレロ型陶器の破片が出土していることから、大名など幕府高官や将軍家、オランダ奉行などが発注した可能性もあります。
―日本にはないものを求めて注文したのでしょうか?
数が少なく珍しい、またはエキゾチックなものを支配層が欲しいと思ったのでしょう。
―この作品を一言で表現すると?
茶席がぱっと華やぐような、日本にない発色の明るい色の陶器です。軟陶であることや、錫釉の不透明な白の色味が特徴で、あたたかみが感じられます。
今回の作品:阿蘭陀色絵莨葉文水指 (おらんだいろえたばこのはもんみずさし)
時代 オランダ 17世紀
17世紀後半ごろ、小ぶりだった薬壺をもとに、水指として日本から注文したと考えられています。白地に鮮やかな黄や青が映える唐草文様で埋め尽くされています。特に大きく描かれた葉をタバコの葉に見立てています。オランダのデルフトで作られた陶胎の焼物です。
藤田美術館
明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。
前野絵里
藤田美術館主任学芸員。所蔵する日本や東洋の古美術品に絡むものはもちろん、宗教、建築、歴史なんでも気になる。直接役立つことも役立たないことも体験体感することが一番と考えている。