
―そもそも謎だらけなんですが、何の絵ですか?
夢の中で、春日明神という神様が姿を現した様子を絹地に描いた絵です。正和3年(1312)、つまり鎌倉時代に作られました。
―誰が描いたんですか?
高階隆兼(たかしなたかかね)という人物です。鎌倉時代に宮廷の絵画部門を司るトップ(絵所預〈えどころあずかり〉)として活躍しました。当館所蔵の「国宝 玄奘三蔵絵」もこの人が描いたと伝わります。
※入門50選「国宝 玄奘三蔵絵」その1・その2をご参照ください。

―え!あの玄奘さんの!こんな絵も描いてたんですね。なぜこの絵を描いたのでしょうか?
この絵の下部に文章があり、この絵を制作するに至った経緯が記されています。ちなみに文章を書いたのは、この絵の制作を依頼した注文主・鷹司冬平(たかつかさふゆひら、1275~1327)です。それによると、先年夢の中で、御車に乗った束帯(そくたい)姿の春日明神が自邸の北側の庭に現れたので、その姿を拝してひざまずくと、銀色の袋に包まれた書を手渡されたところで目が覚めた、という内容です。さらに、夢の中で見た春日明神のお姿を高階隆兼に描かせた、とあります。
―やけに具体的…。なんだかよくわからないけど、ありがたい絵ということですね。
そうですね、確かによくわからないので一つずつひも解いていきましょう。ちなみに「春日」というキーワードで何を思い浮かべますか?
―そうですねえ、奈良の春日大社とか?
そうです!まさにその春日大社の神様が「春日明神」です。その春日明神が夢に現れるという、とってもありがたい出来事とお姿を記録として残しておくためにこの絵が描かれたのです。

―え?でも絵の中に神様っぽい人いませんけど?車はあるけど…。
実はよく見ると、車の中に黒い装束が見えているがわかりますか?これは貴族の中でも特に位の高い(四位以上)身分の人が身に着ける束帯です。前述の通り、冬平の夢の中の春日明神は束帯を着た貴族の姿、つまり仮の姿であらわれたのです。
―本当ですね。ちなみに手元に何か持っていますね。これは何でしょうか?
よく気が付きました。右手には白い笏(しゃく)を持ち、左手で銀色の包みを差し出しています。春日明神から銀色の袋に包まれた書を受け取ったという夢の内容を忠実に再現しているのです。
―しかし肝心のお顔がもやで隠れて見えませんね。夢だったから顔が思い出せないとか?
あえて霞を描くことで顔を隠しています。これは絵画においてしばしば使われる表現で、特に天皇の顔を御簾(みす)や霞・雲などで隠してあえて描かない、ということがあります。この絵も同様の理由で、春日明神の姿は直視するのがはばかられるくらい神聖な存在であるため、具体的な顔をあらわすのは畏れ多いと思ったのだと思います。それに冬平はずっと跪いていたので、顔を見なかったのかも。
―うーん、隠されると余計にどんな顔だったのか気になりますね。
ちなみに、当館には別の春日明神の姿を描いた掛軸があるのですが、そちらでは結構具体的に描かれています。白いひげを蓄えた老齢の男性で、厳粛な雰囲気で描かれています。
※【参考図版】「春日明神影向像(かすがみょうじんようごうぞう)」南北朝~室町時代(14~15世紀)

―つまり春日明神はおじいさんということ?なぜこんな姿なのですか?
ちょっと複雑なのですが、春日大社の神様は実は一人ではありません。春日大社にはかつて第一~第四までの社殿(現在の本殿)があり、それぞれに四柱の神々を祀りました。第一殿は武甕槌命(たけみかづちのみこと)、第二殿は経津主命(ふつぬしのみこと)、第三殿は天児屋根命(あめのこやねのみこと)、第四殿は比売神(ひめがみ)です。さらに後に摂社(せっしゃ)をつくり、天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)=若宮(わかみや)を祀りました。また、それぞれ人の姿で現れる時は、第一・二殿は束帯姿の男性、第三殿は僧侶、第四殿は女性、そして若宮は童子の姿をとるとされていました。
―なるほど。二柱の神様は束帯姿の男性なのですね。こちらはどっちの神様?
おそらく武甕槌命かと。伝承によると、天皇の勅命をうけた藤原氏の求めに応じて、常陸国(現茨城県)の鹿島神宮(かしまじんぐう)から武甕槌命が、二人の神官を従えて白鹿の背に乗って御蓋山(みかさやま)に降り立ったとされます。つまり藤原氏にとっては氏神様にあたります。以降、春日大社は藤原氏一門によって篤く信仰され、発展を遂げました。

―そんな背景があるんですね。…ちなみにずっと気になっているのですが、上に浮かんでる5つの円はなんでしょうか?しかも中に人がいる!
気づかれましたか(笑)これは前述した春日大社の五柱の神々の真の姿です。よく見てみると小さな仏たちが描かれています。「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」って聞いたことありますか?
―出た!日本史で習ったけどさっぱりわからなかったです。
すなわち、日本の神々(垂迹神)は仏や菩薩(本地仏)が仮の姿で現れた存在とする考え方です。インド伝来の仏教と日本固有の神への信仰を融合する神仏習合に基づいています。
前述の春日大社の神様たちを覚えてますか?ここでもそれぞれ違う仏としてあらわされています。向かって右から、釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩、十一面観音、聖観音です。
―そういえば車もなんとなく豪華な感じですよね。よく平安貴族が乗っているイメージ。
はい、ここに牛は描かれていませんが、牛が引くスタイルの御所車(ごしょぐるま)、いわゆる牛車です。実は、乗る人物の位階・階級によって少しずつ仕様が違うんです。これは御所車の中でも、最も格式が高く豪華な「唐車(からくるま)」といい、上皇・皇后・東宮・親王などの皇族や摂政・関白などの最上位の貴族が用いる車でした。
―車にも種類があるんですね。
屋形の軒を見ると、中央は弓形、左右両端は反り返った曲線状になっています。これは中国風の屋根いわゆる唐破風(からはふ)を模しています。それから車の側面、下簾(しもすだれ)に唐花や唐草の美しい文様が施されているのも特徴です。このように全てに「唐様(からよう)」にして最も格式が高いことをあらわしています。なにしろ神様がのる車ですからね。
-いきなり自分が崇拝している神様が夢の中にでてきたらびっくりするでしょうね。
そうですね。その感動と興奮冷めやらぬうちにありがたいお姿を留めておいて、子々孫々までもこの出来事を覚えておいてもらいたいと思ったのでしょう。
-とりあえずとてもありがたい絵ということですね。ご利益ありそうだがら、スマホの待ち受けにしておこうかな。
うーん。藤原氏の氏神様だからどうなんでしょう?宝くじとかは当たらないと思いますよ。
―ひとことで表すと?
夢の中で出会うありがたい神様、絵姿に映してみました。
〔今回の作品〕
作品名:[重文]春日明神影向図(かすがみょうじんようごうず)
制作年代:正和3年(1312)
作者 :高階隆兼(たかしなたかかね)
員数 :1幅
宮廷絵師・高階隆兼によって描かれた、夢の中に示現した春日明神の絵。注文主は鷹司冬平で、画面下部の墨書には冬平自筆による制作経緯が記されている。
藤田美術館
明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。
本多康子
藤田美術館学芸員。専門は絵巻と物語絵。美味しいお茶、コーヒー、お菓子が好き。