—これはどうやって使うもの?
茶の湯で使われる花瓶です。花を入れて、お茶会の床の間に置いて飾ります。
—以前は誰が持っていて、どんな経緯で藤田家にきたのですか?
残念ながら、伝来や購入時期は分かっていません。
—古伊賀ってなに?
まず伊賀焼というのは、現在の三重県伊賀市でつくられたやきものの総称です。このうち、桃山から江戸時代初めにかけて焼かれた、茶の湯に使われる器を中心としたやきもののことを「古伊賀」といいます。
—それ以降、伊賀焼はどうなるんですか?今もつくられている?
一度は途絶えますが、およそ100年ほど経ってから、また復活します。茶陶でなく、主に一般向けの生活食器を焼くようになります。現在までつくられ続けていますよ。土鍋などが有名です。
—他の伊賀焼とは違う、古伊賀の特徴というのはありますか?
まず、釉薬を掛けずに焼いていること。1200~1300℃の高温で焼き上げるので、かなり強度があります。「焼締(やきしめ)」といわれます。
—えっ、でも上のあたりは、ツルツルしていて、釉薬が掛かっているように見えます。
そう!表面に透明な緑色の層が見えますよね。でも正真正銘、釉薬は掛けられていません。これは、窯の中で、灰が表面に付着して溶けた結果、自然と釉薬状になったもの。「ビードロ釉」といわれます。
—へえ、そうなんですね。
他にも、赤くなっているところは、土に含まれている鉄分が酸化して発色していたり、黒いところは焦げたような状態で変色しています。それから、炎に直面する側とその裏側によって表情が全く違うのも、面白いです。古伊賀は、このように、窯中で自然発生的にできる表情が特徴的です。
—偶然ということですか?それとも狙って?
始めは偶然、だんだんとそれを狙って…という感じでしょうか。
—形も面白いですよね。
まさに、この独特な造形も特徴のひとつです。轆轤(ろくろ)で形を作ってから、手やヘラで歪ませています。
—この両側についている、ふにょんとしたものは何?
「耳」といわれる飾りです。この花生の耳は、まさにふにょんとしていて垂れ耳でしょう。この垂れ耳が、銘「寿老人」の由来だと伝えられています。
—寿老人とは何ですか?
中国の伝説的な人物で、日本では七福神の一人です。長い頭と白い髭の老人で、鹿を連れています。長く垂れた福耳で描かれます。
—名付けた人は誰ですか?
分からないのですが、箱の蓋裏に銘を墨書した人は分かっています。表千家6代の覚々斎宗左(かくかくさいそうさ)です。
—ということは、その覚々斎さんが持っていたということ?
いいえ、これはややこしいのですが、そういうわけではありません。家元をはじめ、お茶の世界で名の知れた人は、持ち主にお願いされて箱書きする場合があるからです。
—なぜ重要文化財に指定されている?
他の古伊賀よりも控えめな造形をしていて、あまり類例がないこと。それに対して色の出方や土の具合が、とても古伊賀らしいこと。などが指定された理由に挙げられています。
—花生なので、どんな花を活けたらいいかな~と想像してみます。
お、良い鑑賞の仕方ですね。花を活けた姿や、茶室の床の間に置いた姿を想像するのはオススメです。どうですか?何を活けたいですか?
—うーん。迷いますが、ススキとか?
おお、古伊賀の枯れた雰囲気にマッチしてますね。
—それだとあんまり面白くないか。ミスマッチ感を敢えて楽しむのも良いですかね?
そうですね。可愛らしくタンポポなんて、どうでしょう。寿老人の迫力に対して弱すぎるかな。
—ヒマワリなんかもよさそうだなと思いました。
水を入れたり花を活けるのは実際には難しいのですが、自由に想像するぶんには勝手です。楽しいですね。
—ひとことで言うと?
素朴ながら力強い釉景色を楽しめる、ザ・古伊賀の花生。
今回の作品:「重文 古伊賀花生 銘 寿老人(こいがはないけ めい じゅろうじん)」
桃山~江戸時代(16~17世紀)
古伊賀は桃山時代から江戸時代初期にかけて伊賀地方で焼成された焼き物で、厚い器胎を高温で焼き締める。かつて壁に吊り下げて使用したと思われる環付きの跡があるが、現在では床の間に置いて使用される。左右に垂れた耳がついており、覚々斎宗左が福耳の寿老人になぞらえて命銘した。
藤田美術館
明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。
石田 楓
藤田美術館学芸員。美術に対しても生きものに対しても「かわいい」を最上の褒め言葉として使う。業務上、色々なジャンルや時代の作品に手を出しているものの、江戸時代中~後期の絵画が大好き。