—いつ、どこで作られたお茶碗ですか?
17世紀の朝鮮半島です。窯の名前や場所は分かっていません。日本では、江戸時代はじめの頃ですね。朝鮮半島で焼かれて日本に持ち込まれた茶碗を、高麗茶碗(こうらいちゃわん)と総称しますが、これはその一種です。
―御所丸黒刷毛茶碗(ごしょまるくろはけちゃわん)の「御所丸」ってなんですか?
朝鮮王朝との交易船の通称です。御所丸船によって日本にもたらされた茶碗であることから、こう呼ばれるようになったとされています。しかし最近の研究では、「御所丸」は対馬(長崎県)が、反乱のせいで関係が絶たれた朝鮮と国交を取り戻すために、国王使船を装って派遣した偽の御用船だと分かってきました。
—ん?つまりどういうこと?
このお茶碗が、本当に御所丸船に乗って輸入されたかどうかは分からない、あくまで伝承だということです。茶道具を分類する名称には、由来や意味が不確かなものが多いです。意味以上に、その名称に分類することで、茶道具としての価値が上がることが重要なのでしょう。
—「御所丸茶碗」といえば、こういう姿がスタンダードなのですか?
はい。現存する御所丸茶碗はすべて、これと同じように分厚く作られ、楕円形に歪められていて(沓形・くつがた)、腰のあたりがヘラで成形されています。柄(がら)は2種類あります。白の無地と、白地に刷毛で黒を塗ったものです。
—こういう茶碗が朝鮮半島で流行っていたのですか?
いいえ。これは日本向けに作られたものなので、朝鮮の人の趣味ではないし、朝鮮本土では全く需要がありません。
—日本向け、というと?注文品ってことですか?
そう。高麗茶碗には、大きく分けて2種類あります。朝鮮半島の祭器あるいは日常的な雑器を日本人が茶の湯の茶碗に見立てたもの、それから、日本の茶人が好みの形を朝鮮半島に注文して作らせたものです。御所丸茶碗は後者です。
―実は、分厚くてひしゃげている形や、しっかりした大きい高台を見たとき、少し野暮ったいような印象を受けました。
確かに、中国や朝鮮の陶磁史で評価されるのは、もっぱら端正な姿の器です。それらと比べると、この茶碗は整っていないですし武骨な感じですよね。
—朝鮮の人は、こういう茶碗を見てびっくりしたのでしょうか?意外と良いなと思って取り入れたとか?
完全に日本への輸出用なので、そもそも目にした人の数が少ないと思います。見た人も、「日本人は変なものを好むんだなあ」くらいだったのではないかな。その後、朝鮮陶磁がこういう茶碗からの影響を受けることもないので。
—じゃあ日本人の感性が独特なんですね。どういう発想なんだろう。
素朴だったり、不完全だったり、歪んでいたりする造形に良さを見出すのは、千利休が大成した「わび茶」の精神が深く関わっていますよね。
それから、この御所丸茶碗を注文する際、モデルにされたと考えられている茶碗群があります。桃山時代の美濃地方(現在の岐阜県南部)において、利休の弟子の一人・古田織部(1543~1615)の指導でつくられたとされる、黒織部茶碗です。大胆に歪められ、黒い釉薬で奇抜な模様が描かれています。
★あ、藤田清館長がちょうどやってきました。折角なので館長にも聞いてみましょう。
―御所丸茶碗の造形のもととなった織部焼について、もう少し教えてください。
古田織部は、千利休の精神面を継承した弟子と評価されています。利休の作った型をそのまま継ぐのではなく、「人とは違うことをせよ」と言った精神そのものを受け継いだ。そうして、利休の好みとは対照的な、ユニークな造形の茶道具が生まれました。
—日本で焼いた織部焼があるのに、それをわざわざ朝鮮半島で作らせるというのが、不思議です。
他でも手に入るようなものを、敢えてハイブランドに作らせるのと同じ。そのブランドの箔がつくこと、つまり、朝鮮半島で焼かれ海を越えてやってきた高麗茶碗であることが重要だったんでしょう。
★館長、ありがとうございます。
—藤田美術館はいつから所蔵しているのですか?
もとは井上馨(1836~1915)が持っていて、彼の没後、大正14年(1925)の売立で、藤田傳三郎の次男・徳次郎が落札しました。
—最後に。「夕陽」という名前がつけられていますが、どのあたりが夕陽なのでしょう。
白地にほんのり現われている赤みを夕陽ととらえたから、と伝えられています。
—え…。ど、どこが赤色なんですか?ほんのり過ぎて分からない。
すみません、正直言うと、私もあまり納得していません。しかし、茶道具の銘というのは、その理由まで詳しく説明して伝えられるケースは少ないです。野暮だから。ですので、我々も自由に想像してよいということです。
—そうなんですね。個人的には、夕日が真っ赤に燃えて、山や海の向こうに消える瞬間、ひしゃげた形になるのをイメージしたのかな?と思いました。
とても素敵な解釈だと思います。
—ひとことでいうと?
日本からの注文により、日本人好みに焼かれた高麗茶碗。大きく歪んだ造形が特徴。
今回の作品:「重文 御所丸黒刷毛茶碗 銘 夕陽(せきよう)」
朝鮮時代(17世紀)
日本から朝鮮半島へ注文して作られた高麗茶碗の一種。沓形といわれる楕円形で、随所にヘラで面取りが施され、白地に刷毛で黒釉を掛ける。近代以降、藤田傳三郎の兄・久原庄三郎(1840-1907)から井上馨に渡り、その没後、大正14年に行われた売立で傳三郎の次男・徳次郎が購入した。
藤田美術館
明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。
石田 楓
藤田美術館学芸員。美術に対しても生きものに対しても「かわいい」を最上の褒め言葉として使う。業務上、色々なジャンルや時代の作品に手を出しているものの、江戸時代中~後期の絵画が大好き。