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学芸員がやさしくアートを解説します|和歌浦蒔絵硯箱・文台

和歌の世界にひたる豪華硯箱

硯箱・文台

 

―これは何ですか?

江戸時代(18~19世紀)に作られた、書に必要な道具一式を納める硯箱です。この硯箱とセットで作られたのが文台(ぶんだい)です。特に硯箱は、文字を使う上層階級(貴族、武家など)たちの間で、洗練されたデザインと高度な装飾技法を用いたものが調度品として好まれました。

 

硯箱の構造

 

―今の私たちが使う書道具セットとはちょっと違いますね。

はい、中身も造りも現代とは違いますね。まず箱の構造ですが、被蓋造(かぶせぶたつくり)といって、身よりも蓋が少し大きめで覆いかぶさるように作られているのが特徴です。身の内側には、筆架(ひっか)と呼ばれる桟(さん)をわたし、道具を収納しています。筆や硯のほか、墨を擦る水を入れるための水滴(すいてき)、紙を切るための刀子(とうす)、紙や絹に穴を開けるための錐(きり)、短くなった墨を挟んで使う墨挟(すみばさみ)などがあります。

 

―全体的にきらきらと輝いてとても綺麗です。暗い展示室の中では特に映えます。

蒔絵という技法が使われています。木で作られた素地全体に黒漆を塗り、梨の肌のような細かい粒子状の金粉を蒔きつける梨子地(なしじ)がほどこされています。さらにその上に、金銀を用いた立体的な蒔絵技法で様々な景物のモティーフがあらわされています。

 

蓋裏
文台

―鳥とか波とか色々な絵柄がありますが、これは何でしょうか?どこの光景ですか?
干潟に葦が群生していて、鶴たちが集っている様子ですね。ごつごつとした岩礁(がんしょう)もたくさんあります。これらは和歌山県にある「和歌浦」という場所をあらわしています。和歌浦は和歌山湾に面した景勝地で、和歌川(旧紀ノ川)の河口に広がる干潟を中心に形成されています。古来、風光明媚な場所として有名でした。

 

―和歌浦はどんなところですか?実際にこのような風景が見られるのでしょうか?

実はこれらのモティーフは、奈良時代に詠まれたある和歌がもとになっています。724年10月、聖武天皇(しょうむてんのう、701~756)が行幸(ぎょうこう)でこの地を訪れました。当時は「弱浜(わかのはま)」と呼ばれていたのですが、景観の美しさに感動した天皇が「明光浦(あけのうら)」と命名しました。また、聖武天皇に仕えていた歌人・山部赤人(やまべのあかひと、生没年不詳)は、当時の行幸に随行して次のような和歌を詠みました。

「若の浦に 潮(しお)満ちくれば 潟(かた)をなみ 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る」(『万葉集』919番歌)

[※現代語訳:若の浦(=和歌浦)に潮が満ちて干潟が見えなくなり、干潟にいた鶴が一斉に飛び立ち、葦のはえる岸辺へ鳴きながら飛んでいく]

奈良時代当時はまさにこのような光景がよく見られたのではないでしょうか。現在はこんなにたくさんの鶴はいないかもしれませんね。

 

―なぜこの和歌が有名になったのですか?

少し後の平安時代になると、紀貫之(きのつらゆき、?~946)が編纂した『古今和歌集(こきんわかしゅう)』仮名序において、山部赤人のこの和歌が取り上げられたことがきっかけで、有名になりました。また、和歌浦のすぐ近くの玉津嶋(たまつしま)神社には、和歌の神様・衣通姫命(そとおりびめのみこと)が祀られており、特に平安貴族らの信仰を集め多くの参詣者が訪れたそうです。それ以降、和歌の聖地「和歌浦」として多くの和歌や物語、美術工芸品の主題として取り上げられるようになりました。

 

―ちなみに誰が作ったのでしょうか?

とても精緻で技巧的ですが、作者は不明です。それぞれのモティーフに金と銀をバランスよく用いて、奥行きのある絵画的な光景が抒情的かつ躍動的にあらわしている点は、熟練の技を感じさせます。

 

蓋裏:岩礁部分拡大

―豪華ですが作るのは大変そう…立体的に模様が盛り上がっているところもあります。

群生する葦、干潟に集った鶴たちの主要モティーフは、漆や炭粉で模様を盛り上げて立体感を出す高蒔絵(たかまきえ) という技法が使われています。さらに、水際にそびえ立つ岩礁や干潟の波打ち際などの縁には、小さな正方形に切った金銀の薄い板を貼り付ける切金(きりかね)がほどこされているなど、随所に装飾に凝ったつくりが見られます。また、岩礁の部分はひときわ盛り上がっています。ここでは、高蒔絵で盛り上げた部分をなだらかに傾斜がつくように仕上げた肉合研出蒔絵(ししあいとぎだしまきえ)という高度な技法も使われています。

 

蓋表:鶴部分拡大

―鶴たちはよく見ると意外にリアルですね。それに銀色が混じっていてちょっと渋い感じです。

はい、周囲の景色が全て金蒔絵なので、ひときわ際立っています。それにご指摘の通り、鶴たちが写実的で写真から抜け出したよう。羽毛も体の部位ごとに微妙に異なっていますし、細い針で細かく線刻したような針描(はりがき)でお腹の柔らかい毛を表現しています。それに一部の鶴の頭頂部は少し赤くなっているのでタンチョウヅルでしょうか?種類が気になります…。

 

―なぜこんなに豪華に作ったのでしょうか?誰が使っていたのでしょうか。

前述したように、硯箱と文台は上層階級の人々にとって文房具の必須アイテムでした。実用的なもののみならず、いわば「見せる」調度品として室内装飾のために豪華仕様で作られたものもあります。これもあまり使用した形跡が見られないので、飾って愛でるのが目的だったかもしれません。

ちなみに誰が作らせたのか、注文主もわかりません。ただ、このような和歌の世界観を豪華仕様の蒔絵であらわした文房具を使うということは、教養がある上層階級が特別に注文して作らせたオーダーメイド品だった可能性があります。

 

―一言でいうと?

和歌の世界観を体感!豪華仕様の蒔絵硯箱。

 

 

〔今回の作品〕

作品名称:和歌浦蒔絵硯箱・文台

員数:1個

和歌山県の景勝地・和歌浦をあらわした硯箱と文台。奈良時代の歌人・山部赤人が詠んだ和歌「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」に因んだ和歌浦の象徴的な景物を様々な蒔絵技法を用いて、装飾的にあらわしている。

 

藤田美術館

明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。

 

 

本多康子

藤田美術館学芸員。専門は絵巻と物語絵。美味しいお茶、コーヒー、お菓子が好き。最近購入をもくろんでるもの:ミャクミャクのグッズ

 

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