藤田美術館館長の藤田清がさまざまなアートやアートにまつわるものを求めて日本全国訪ね歩きます。初回は大阪で江戸時代から続く道具商の戸田商店へ伺い、戸田貴士さんにお話を伺いました。
藤田清(以下、藤田)本日はよろしくお願いいたします。といって改まると今さら緊張してしまうのですが(笑)まず、戸田商店とはどういった道具商なのでしょうか?
戸田貴士(以下、戸田)私たち戸田商店は、江戸時代から続く茶道具商です。松江藩主で美術コレクター、茶人として知られる松平不昧公には参勤交代の度に立ち寄っていただき、「弌玄庵」という屋号をいただいています。ここ高麗橋の地名は、高麗モノ(朝鮮半島で作られた茶道具)を扱う道具商が立ち並んでいたからと言われています。
藤田 中でも戸田商店は、現存するもっとも古い茶道具商のひとつですよね。ここに飾ってあるのが、不昧さんから頂いた屋号ですね。藤田傳三郎は、戸田商店の12代露吟さん以来お世話になっています。
戸田 そうですね。美術商にとって厳しい時代でしたが、それを盛り上げたのが傳三郎さんや益田孝さん(鈍翁)たちですね。
藤田 藤田家はそれ以来のお付き合いですよね。美術館になってからも、展覧会で茶道具についてのアドバイスなど、展示のお手伝いをしていただいていました。私も美術館に入りたてのころには、戸田商店の方に茶道具の扱い方、それこそ紐の結び方から教えていただきましたし、私の父も同じ方のお父様に教えてもらったそうです。
戸田 美術館のお手伝いは、道具商としても非常に勉強になります。特に、作品だけではなく、箱や袋、添状なんかは展覧会では見ることができないですし、様々な人の手を渡ってきた作品、それも昔から有名だったものをケースの外で拝見する事が出来るので。
藤田 今日は、お客さんに見せる時と同じように、何点か茶碗を出していただいていますが、確かにそうですよね。箱や袋、いわゆる「次第」と呼ばれるものをこうして見ると、代々所有してきた人たちがどれだけ大切にしてきたのか、その歴史が感じられますよね。
戸田 茶道具は、誰が作ったのかとか、誰が持っていて何時使ったのかとか、そういった歴史が大切にされていますよね。ただ凄く分かりにくい(笑)そこが、知識がないと美術品が楽しめない!と思われている原因かもしれないですね。全然そんな事無いのに。
藤田 確かに箱とか添え状とか分かりにくい(笑)でも「箱がたくさん付いているから大事にされていたんだなあ」、でも良いと思うのですが。作品を単体で見た印象を大事にした方が楽しめるのかなと。
戸田 特に桃山陶器は、歴史とか知識とかよりも感性で見れますよね。織部焼なんて現代のコンテンポラリーと何も変わらないような気がします。数百年も前に作られているのに、まるで今作られた作品に見えてします。これまで美術品に興味が無かった方たちや、若い方たちにも親しみやすいかなと思います。
藤田 もう、私たちも知り合ってから10数年経ちますが、「どうやったら同世代や若い世代に伝わるんだろう?」って話題をいつもしていましたね。
戸田 今もその話題が多いですけどね(笑)私達もまだまだ上の世代から教わる事が沢山あって、今度は次の世代へどうやって伝えていくのか。多くの人にもらった刺激を何とかつないで、若い人に刺激を与えられるようになりたいです。
藤田 本当にまだまだ勉強する事がたくさんあります。せっかくなので、美術商やコレクターの方、美術館の方や料理屋さんなど、色々な人とモノに会って、アートに触れに行きたいですね。
戸田 いいですね。早速あちこち周りましょう!
谷松屋弌玄庵
谷松屋戸田商店。江戸時代から続く関西屈指の道具商で、松平不昧公出入りとしても名高く、八代目の露吟は多くの名器を扱った目利きとしても有名。現在も大阪伏見町にあり、代々続いた茶室は貴重な事から二度も移築され、保存維持されている。
戸田貴士
1981年、谷松屋弌玄庵の12代目、戸田博氏の長男として大阪に生まれる。3年間のフランス留学を経て、2003年に江戸時代から続く茶道具商戸田商店に入社。現在は同社の代表取締役副社長。